1997年12月、高名な考古学者の講演会の席上、奈良県・黒塚古墳より大量の三角縁神獣鏡が出土したこと
を聞く。 
「ああ、また古墳時代の鏡が増えたか。 同種の鏡としては最多だな。 マスコミは卑弥呼の鏡が大量
出土と騒ぐだろう。」
 M考古学者と筆者の予想通り、 翌 1998年は 「黒塚古墳で卑弥呼の鏡大量出土」の報道
合戦と多くの熱心な見物人で始まったが、
 本当に三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡なのだろうか?
 
 
 筆者は中国の銅鏡に興味を持って40年ほどたつが、 最初は京都大学系の学者の本ばかり読み、卑弥呼の
鏡は 三角縁神獣鏡であると信じ、博物館の中国製と日本製の区分を そのまま鵜呑みに(今では全く信用して
いない!) していた。ところが反論の存在を知り、遂に1981年中国の考古学者 王仲殊氏が書かれた
『日本の
三角縁神獣鏡について』
に出合った結果、三角縁神獣鏡は全て国産!年号鏡も、 出土する古墳が鏡の年号
より百年以上常に新しく、同じ年号鏡が中国からは全く出ず、しかも架空の年号もあるので−例えば 景初四年
鏡−景初は三年までしかない。
実際に中国で製作 したら死刑になるであろう、または製作するのを延期する
のが当然の
怪しい鏡だと知ったのだ。

 景初三年の内に 四年のを作ったという説 もあるが、 魏の皇帝は 何と一月一日に死んで、 改元されることは
前もって誰もが知っていた。
死亡を知らなかった日本で製作されたと考える方がきわめて自然だから年号鏡も
国産だ!
と思うようになった。  ※後記のように『晋書』には景初四年は一ヶ月あるというが正始元年とは重なることになる?
 
 しかし、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡とする学者、マスコミは根強い。それはなぜか?残念ながら
邪馬台国を
非論理的にでもどうしても大和へ持って行きたいらしい京都大学系の人たちが学界やマスコミを牛耳っている
からなのだ。彼らにすれば九州渡来神話が『古事記』『日本書紀』に堂々と載っているにも関わらず、渡来神話
を全く無視し、大和はずっと前から栄え、
邪馬台国が作っていたはずの絹も、中国からもらった鏡も、 弥生時代
の奈良県にはジャンジャカ 大量に出土しているかのように書く。 だが実際には
大和の弥生の遺跡から 絹は
まだ少なく
、 鏡も九州に比べ 圧倒的に数が少なく
合計しても五、六枚しか出土(多鈕細文鏡を含む)せず、
三角縁神獣鏡は出土したことがない。 
三角縁神獣鏡は中国、 朝鮮半島そして弥生時代の遺跡 からさえも
出土したことのない
古墳時代の日本の鏡なのだ。  2009年、ようやく纏向遺跡から絹が出土した。


      

 ▲
黒塚古墳より以前に三十二枚の三角縁神獣鏡が出土
 した
椿井大塚山古墳。 古墳の真中をJR奈良線が貫通
 している。 両方とも鏡の配布係の墓という説は、大量の
 鏡を古墳に内蔵していた謎が残り、当たらない



それでは一般には知られていないことを書く。 筆者が所有している 魏の都・洛陽出土の鏡を集めた 『洛陽
出土銅鏡』を見ると神獣鏡は一枚も載っていない
のだ!
そして魏に敵対する呉の鏡を集めた『鄂城漢三国
六朝銅鏡』 を見ると数十ページに渡って神獣鏡が掲載
されている。
(両方とも中国の発刊本)  このように
神獣鏡を作るのは魏ではなく呉であるのは明白なのだが、魏鏡論者はこの事実に決して触れたがらない。
また
三角縁神獣鏡は これら中国の本には 全く載っていない。 中国の鏡 ではなく 中国では 出土しない鏡なの
だから当然のことである。




『洛陽出土銅鏡』(魏) 『鄂城漢三国六朝銅鏡』(呉)
▲神獣鏡はまるでなし 
▲神獣鏡が表紙である

神獣鏡を製作しているのは呉の国なのだ
                   

 『鄂城漢三国六朝銅鏡』の新訂版
『鄂州銅鏡』も入手、
神獣鏡がさらに数多く増えて掲載されている                                


 日本で出土する年号鏡は、年号が弥生時代に当たっていても 全て 百年以上のちの古墳から出土している。
年号を疑おうともしない。
 青龍三年銘鏡というのがあるが、方格規矩鏡という同種の鏡は (下の写真参照)
中国ではあまり年号を刻まない鏡(前漢のあとの新時代の 始建国二年銘 と 始建国天鳳二年銘鏡 とが二枚
九州から出ているがほとんどは年号を刻まない)
であるのに、そういう知識があるのかないのか年号のみ信じ、
すぐに邪馬台国に結びつけるのはとても滑稽である。
  年号は後世に自由に入れることができるのだ!

 陶磁器の収集をしたことのある方はご存知であろう。中国の有名年号モノばかり集めれば簡単にニセモノの
コレクションが出来上がる
ことを。 現在上海空港では清時代の元号が書かれた朱肉入れが売られている。
筆者も、もちろん現代モノとして買いました。
 

「乾隆年製」の部分

現在、中国の空港でおみやげとして売られている朱肉入れの底に「乾隆年製」の文字があった。
清時代の掘り出しもの!と
文字を疑わない連中なら大喜びするはずだ。
しかし残念ながら一目見て現代物とわかる。こんなことは日常茶飯事、気をつけましょうね。


 三世紀の墓であるというホケノ山古墳からは当然出るはずの三角縁神獣鏡は、当然のごとく出土しなかったし、
『倭人伝』 に記された「倭人の墓に槨(部屋)なし」に反して立派な木の部屋が出土してしまった。そして今まで
卑弥呼の墓だとがんばって来た箸墓古墳が 卑弥呼の時代に合わないとなると、勝山古墳を次の卑弥呼の墓
候補にする。 しかも
全ての大和古墳群に 「殉葬する者百余人」の記事を証明する殉死の証拠は出そうになく
勝山古墳からも 当然のごとく
三角縁神獣鏡は出土しなかったのだ。


   TVや新聞の報道と違い邪馬台国大和説を否定する事実ばかりである

 勝山が卑弥呼の墓なら箸墓は卑弥呼の何なのだ? 「おいちゃん」か? 「おばちゃん」か? それとも「労働者
諸君」か?   
                              A方格規矩四神鏡(卑弥呼の鏡の候補の一種)  直径20.4cm 昇龍蔵

   

   ★★★★★
では「卑弥呼の鏡」とは果たしてどんな種類の鏡なのだろうか?★★★★★
 


 それは当然ながら
卑弥呼と同時代の弥生時代に日本で出土する鏡、すなわち「後漢式鏡」である。
内行花文鏡、方格規矩鏡 (年号鏡は除く) など様々な種類
があるが、それらは 九州を中心に出土する鏡だ。
なお「後漢式鏡」には三角縁神獣鏡は当然のごとく含まれていない。
 
 
 ここで考古学者が一人も言えなかったことを書く。
中国語学者によれば 正式な中国鏡の銘文は韻を踏む
いう。そして
年号鏡で中国製説のある、例えば「青龍三年鏡」 などは韻を踏んでいないという。「朕はアホなり」
という 「悲惨な銘」
だそうな。 また三角縁神獣鏡にも韻を踏んでいない例が多いそうである。 これこそ紋様の
優劣で中国製・日本製と分けるのはデタラメな証拠
であるといえよう。
 
 「三角縁神獣鏡卑弥呼の鏡説」はすでに30年近く前に中国では否定された旧説である。

三角縁神獣鏡は古墳時代、 大和で製作され 卑弥呼の遣使を知っていた者が 魏の年号を故意に刻印させた

配布用のニセブランド大量生産商品
である。 大和はホケノ山古墳の頃から神獣鏡を好んで呉と通交していた。
邪馬台国とは対立する地域
だったのだ。  
 
 筆者は一年に七度奈良を訪れたこともあるほどの「奈良ファン」で、三輪山の周囲に散在する大和(おおやまと)
古墳群を何度も見てきたが、
ここに邪馬台国があったとは残念ながら思っていない。
戦前は 天皇中心主義の皇国史観が日本史を侵してきたが、今また新たな
第二の大和中心史観が マスコミを
共犯者としてひろがっている。奈良の歴史を改変するな、もう黙ってはいられない。

 


   平城宮の北に広がる
佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群は空から見ているヨ
                           
                                 B内行花文鏡(卑弥呼の鏡の候補の一種)  直径18.4cm 昇龍蔵

 『古事記』 や 『日本書紀』 には大和朝廷は九州から来た と明記されている。
しかし魏鏡論者 =大和論者は、
よそ者ではなく初めから大和にいて邪馬台国を創り、大和朝廷に発展した、と説く。

 
自ら 編纂した歴史書を自ら否定するのと同じだ。九州以前には高天原から来た (韓半島?) と
更によそから
来たことを強調しているのに。
そして飛鳥の発掘記事に対して 『古事記』や『日本書紀』の記述の正確さを主張
する。そんなおセンセイ方を新聞やテレビで見かけたら、まず信用しないことだ。


 

 奈良・三輪山麓の
箸墓古墳(右)。被葬者といわれるモモソ     盛況だった2000年4月9日の箸墓古墳近くのホケノ山
 ヒメは既婚者で邪馬台国の卑弥呼は独身者で違う人物。      古墳説明会。橿原考古学研究所所員の説明の中で
 「径百余歩」は円墳であり卑弥呼はここには眠っていない。     邪馬台国のヤの字も出なかったことに深く感動した。
 全く『魏志倭人伝』の記事と合うところがない古墳だ。         この日『倭人伝』にないはずの槨(部屋)が二つ出土



  2002年になって年号鏡がなんと重要文化財や重要美術品に指定された!
 東京国立博物館の東洋館に展示されている 中国鏡 と比べれば その仕上がりの 稚拙 さがよく わかるはず
なのに(特に呉の赤烏年号鏡)
考古学はまた新たなねつ造を生み出したと言える。
ハイテク技術を使う一方で、解釈するのはやはり人間。甚だ残念なことである。


 2002年3月5日放送の 「なんでも鑑定団」中国 ・ 明の 成化年製銘 の入った皿を 中島鑑定士は、日本の
伊万里焼(有田製)と断定した。
世界的視野があれば物の真贋を見抜くことができる。
我々も
真の歴史鑑定士になりたい
のである。以後の放送でも彼は年号をうかつに信用していない。


 ★
「2006年3月神戸で新形式の三角縁神獣鏡出土」の記事から
 
神戸新聞(2006.3.14)によると塩田北山東古墳から「中国製とみられる」三角縁一仏三神四獣鏡が発見された
という。
 「三角縁神獣鏡は全国で約五百枚発見されているが、仏を描いた鏡は四種六枚しか見つかっていない。精密
な文様や縁の厚みから製造技術が高い中国製とみられる」とある。

 たしかに日本では多数の三角縁神獣鏡が発見されているのだが、肝心要の中国大陸からはただの一枚も
発見されていない
のだ。 発見されていないのに中国製  とするのは 考古学の基本を全く無視する行為で、
我々アマチュアにも真似ができない卑劣な手段としか書きようがない。

 技術的に見ると、 日本ではすでに弥生時代に現代でも復元不可能な厚さの薄い青銅器・
世界に誇る「銅鐸」
を製作済みだ。四世紀の古墳の出土品である鏡で精密な文様を再現できない訳がない。
そんなに
古代日本人を馬鹿にしてはいけない。 結局、中国製という理由は「日本の技術が未熟」というのが彼ら
邪馬台国大和論者の苦しい根拠に過ぎないのだ。
 
 しかし新形式であろうがなかろうが、
三角縁神獣鏡をあの広大で一年間何万件と発掘されているはずの中国
大陸から一枚でも出土して見よ、というのが私の三角縁神獣鏡全日本製説の結論だ。

 日本製の自動車なのにアメリカ製と似ているところがあるからアメリカ製だ、と決め付けるのと同じで
出土地域
(日本だけなのに)を全く無視して中国製というのは考古学の基本を無視している
ことに他ならず、日本の考古学
は全くお粗末ということになる。


                                                  
 C対置式神獣鏡(呉鏡)  直径12.7cm  昇龍蔵



       ★★【まとめ:三角縁神獣鏡や年号鏡が卑弥呼の鏡ではない数多くの理由】★★

 1.中国広しといえど、発掘が盛んなのにただの
一枚も破片すら中国で出土したことがない

 2.
出土するのは日本ばかりで、もらった百枚をはるかに超え、現在も出土し続け、数が増えている。

 3.卑弥呼と同時代の
弥生期の遺跡から出土したことがなく、古墳時代の古墳からのみ出土する。

 4.もらった百枚の鏡が
無事に全て出土し、全てが伝世鏡など全く有り得ず出土時期をずらす詐欺行為

 5.卑弥呼が通交した
魏の国では神獣鏡を作る習慣がなく23から24cmもの大型鏡は稀である。

 6.
神獣鏡や三角縁、大型の鏡は全て敵対した呉の国の鏡の特徴である。大和は邪馬台国の対抗国?

 7.鏡の銘文が当時の中国鏡らしくなく
韻をふんでいないお粗末な文章(青龍三年鏡ほか)である。

 8.日本で出土する年号鏡に中国では実際に存在しない年号(景初四年)が刻まれている。

             ※訂正:『晋書』にあると2010年1月に元産業能率大教授・安本美典先生より伺う。 後記する


 9.
年号は後の時代にも自由に入れられ、そのまま鵜呑みにするのは危険である。      

 10.仕上がりが良いから中国製とはいえず
年号鏡の中にも出来の悪いものもある。

 11.銅の成分が 中国の銅に近いから中国製とは限らない。 後の鑑真和上は 日本で仏像を造るために
   多くの銅銭を持参している。
材料を中国から運べば中国の銅の成分が検出されるのは当然である。

     以上のことから 「卑弥呼の鏡」説は 「考古学史上最悪のねつ造」 といえる。

                                  
    
TV放送番組を斬りまくる!

2007.2.2放送のフジテレビ「箸墓幻想」で画文帯神獣鏡(やはり呉系の鏡なので)が出土すれば そこが
邪馬台国という発想は、やはり誤りであると言わざるを得ない。名(?)作家と名探偵もミスを起こす。       
                                              
 
●数字は、年号・鏡の名称・鏡の数は漢字に、日付けは算用数字に、数え方は「銅鏡百枚」にちなんで「枚」にしています。
 
                                  D盤龍鏡(卑弥呼の鏡の候補の一種)  直径14.3cm 昇龍蔵



 
2007.3.14放送のNHK「その時歴史が動いた」「中国の三角縁神獣鏡 (3世紀)」 と 表記 していたが、
これも 大和説支持者を増やすための
全くのねつ造 であるとしか考えられない。 NHKのスタッフは 中国の
王仲殊氏や森浩一氏、安本美典氏の説得力あふれる著書、および「このページ」を読んで勉強してほしい。
あれで視聴料を取るなどとはもってのほかである。もちろん我が家は払っているが。


 その NHK のねつ造にもかかわらず、
多くの視聴者が 九州説を選択したことは NHKより 視聴者の方が
はるかに賢いことを証明していた。
自分の故郷を邪馬台国に持っていきたい近畿地方の視聴者よりも 全国
の人々の方が、より客観的に適切な判断を下したといえるのではあるまいか。

 

 ★★
ちなみに 邪馬台国では錦(絹)を作って魏へ献上していたが、
絹の出土する量は 弥生時代では
北九州が他の地域を圧倒している
 奈良県の弥生時代では、ようやく纏向遺跡で絹の出土を見た。
古墳時代になっても出土量はまだ少ない。これだけを見ても
邪馬台国の所在地は北九州であるということ
になる。 2008年11月公開の
映画「まぼろしの邪馬台国」ではズバリ北九州説であった。


また2008.3.21放送の
テレビ東京「みのもんたの日本ミステリー」では邪馬台国は 四国だ、などと言って
いたが、やはり
絹は四国からほとんど出ないし、弥生時代の鏡の出土状況も貧弱だし「倭人の墓は棺ありて
槨(部屋)なし」の記事に大いに矛盾する。登場していた考古学者の石野氏はそれを全く無視している。今後
の考古学が大いに懸念される放送であった。



またまた2008.5.13放送の テレビ東京「新説?日本ミステリー」 では さきたま古墳群を日本王国 として、
垂れ目の埴輪の供給の中心地に巨大な王権があったとし、関東地方を支配していたなどとしているが果して
そうであろうか?

 たしかに垂れ目の埴輪 の分布は面白い。 だが果たして
埴輪や土器の分布の中心地に巨大王権が 存在
していたのだろうか?
  縄文時代の土器の分布の中心地、 加曾利、勝坂、亀ヶ岡などに 王宮や 巨大古墳、
王権が存在しただろうか? それはかつて 一世を風靡 した
フラフープや、ダッコちゃん人形の工場に王権や
王家があったというのと同じ考え方
である。単なる好みによって注文を受け、広がったにすぎないのだ。 

 やはり 北の上野(こうづけ)の群馬の巨大古墳群の存在を説明 できなく なる。『旧唐書』の「日本もと小国、
倭国の地を併す」 という記事によれば
「さきたま」 の連中が全国支配をしたことになる。 四国の邪馬台国に
しても「倭人伝」の記事・
絹の弥生時代の出土、鏡の多用、槨無しという記事と合わない。この番組は 何かが
あると すぐに飛びついて 時代考証の 裏付けが 欠如している。 「チャップリン暗殺」 の項目だけが、 驚くべき
綿密さによって構成されていた。それを見習って番組を作るべきであろう。

 その後の放送では、さきたまと関東全体を日本王国としたようだ。 しかし 「武蔵国造の反乱」の時代になり
さきたまと群馬は敵対する ことになる。 「テレビ東京の日本」 は倭を合わす どころか 分裂することになって、
より文献的につじつまが合わなくなる。 
関東に日本王国はなかったのだ

 それより「壬申の乱」の時代、 旧来の
大津宮にいる大友皇子側を倭、 新興の大海人皇子側を日本
する説がある。こちらの方がよりつじつまの合う魅力的な説であり、これを支持したい。



           ★★★ 奈良の纏向遺跡は邪馬台国ではない! ★★★

そしてついに2008.11.22放送の TBS「世界ふしぎ発見!」 住居跡の出ない纏向(まきむく)遺跡を邪馬
台国の首都だ、などと放送した。
住居のない都など、その後の歴史に登場しただろうか?
きわめて良質な番組だと思っていただけに甚だ残念! たぶん
映画「まぼろしの邪馬台国」に危機感を抱いた
大和説支持者
血迷って企画したのかと思われる。

 また一年後の2009.11.21放送の TBS「世界ふしぎ発見!」
では 北九州と大和で観測された日食を放送し、
卑弥呼の死の原因としたが、これはだいぶ前の1995年『季刊 邪馬台国』に掲載されたもので古代史ファンに
おいてはずい分と古い常識である。やっとこれを探し出し、
放送局で発見したがごとく放送した。

 纏向および大和古墳群は木槨や石室の構造
が多い。『倭人伝』の「倭人の墓は棺有りて槨無し」 の記述
に矛盾する。
登場する考古学者と称する大和支持者は平気でそれを黙っている。実にズルイ。
甕棺(かめかん)や箱式石棺などの吉野ヶ里のような
北九州の墓制だけが『倭人伝』に一致するだ。 


典型的なのは2009.11.17放送のNHK「クローズアップ現代」だ。この番組、何か賞をとったらしいが考古学
に関する番組は評判が悪い。
必ず支持者のみを登場させ反対論者は一分足らずしか登場させない 「大本営
発表番組」なのだ。以前では「景初四年の鏡」についての番組が、その手口であった。

 今回の放送も纏向遺跡にやっと大型建物が出土したので、それを卑弥呼の神殿、あるいは宮殿と断定した!
なんの根拠もないのに。

 これも上記のごとく
付近の古墳群は槨(部屋)だらけで『倭人伝』と矛盾する。ヘヤー(部屋)丸出しなのだ。
登場した白石氏は以前に「立派な木槨が出たから邪馬台国」(ホケノ山古墳発掘時)と言った人物。
『倭人伝』
無視も甚だしいし、大和説支持者が増えているなどと勝手なリサーチ結果を誘導報告している。

 
NHKにメールを送っても 返事が来るのが普通だが
反論はいまだにない、できる訳がないのだ。 あまりにも
卑劣なので放送倫理・番組向上機構にTBS共々文書を送信した。残念ながらこれも返事はない。放送倫理・
番組向上機構の
コーナーって本当に返事が来るのか疑問、2年経っても返事なし。皆ウソだらけだ。



2010年1月 奈良の桜井茶臼山古墳の大量出土の鏡について。枚数には驚いた。しかしやはり邪馬台国
の時代より年代は下り、
三角縁神獣鏡はまた出土枚数が増加したので卑弥呼の鏡ではなく日本製。魏ではなく
やはり
大和らしく呉系の鏡、大型ならなおさら魏にはない鏡であり、銘文も自由に入れられるという私の考えは
変わらない。絹が出ても古墳時代のものなので
従来の考え方で一層間違いなく、かえってますます補強された
と思った。何しろ邪馬台国と違って、『倭人伝』と伝統の異なる「槨(部屋)付き」の古墳なのだから。


我が家の槨・・・じゃない、部屋を掃除していたらファイルから古新聞や雑誌が出てきた。ちょっと見てみよう。

アサヒグラフ「古代史発掘88-90」吉野ヶ里遺跡の発掘記事−邪馬台国が見えてきた/ 『倭人伝』の記述に
ピッタリ 大規模な建物の柱穴/倭国大乱ほうふつ  などの見出しが見える。

1995.1.12読売新聞 「滋賀・伊勢遺跡  弥生期初の方形柵跡/ 邪馬台国と関連注目 」 今ではこの遺跡を
覚えている人はよほどのマニアか地元の人たちだけであろう。私など完全に忘れていた。

1995.6.17読売新聞 「大阪・池上曽根遺跡 弥生最大の神殿跡? 発掘/ 「吉野ヶ里」上回る建物/ 中国の
技術者が指導か」 この遺跡は邪馬台国候補にもなったのでよく覚えていたし、 纏向が邪馬台国なら、 ここは
卑弥呼の別荘になるのか、考えたことはないが、どうなるのか大和説の信奉者に聞いてみたいものである。
 
 とにかく弥生時代の大型建物は纏向遺跡だけではないし、
卑弥呼の金印や墓誌が発見された訳ではない
ただ
大和説信奉者は卑弥呼の神殿あるいは宮殿にしたいのだ!!!だが何の根拠もないのである。
弥生時代の最大の遺跡は 北海道にある
とM先生は書いておられるし、 関西以西の 弥生の遺跡の記事には
必ず「邪馬台国」の四文字が見出しに踊る。相変わらず卑弥呼を出してくるのはマスコミの悪しく哀しき性(さが)
なのであろう。そういう記事を見たら、まず疑った方が良い。


 十メートルを超える建物を大型建物とすると、すでに縄文時代から東北地方を中心に北陸まで九十棟以上も
出ている。 弥生時代になると今度は関東から九州に渡って南下してくるという面白い現象になるのだ。 文化と
いうものは、大陸から来て九州から北上するような錯覚を抱きがちだが、全くそうではない。これが日本文化の
面白いところで、
縄文時代早期から大型建物は出現し、水田は二千年前からすでに東北地方に現われている。

 
大型建物は珍しいものではないのだ。 『魏志倭人伝』に書かれていることと一致するか否かが邪馬台国
になるとすれば、今のところ
佐賀県の吉野ヶ里遺跡が一番近いということになる。


年号を疑うことになったきっかけは十代の頃、上野・東博で見た東大寺山古墳の鉄刀 だ。四世紀の古墳に
なんと二世紀の(後漢の中平)年号。二百年ものズレがある。果たしてこれは本当に中国製なのか、今も疑う。


             ★★【中国出土の年号鏡について気がついたこと】★★

 
我が家には神保町の中国書専門店などで集めた銅鏡の写真集が、先述の『洛陽出土銅鏡』『鄂城漢三国
六朝銅鏡』
の他にも『浙江出土銅鏡』 『九江出土銅鏡』 『湖南出土銅鏡』 『陝西省出土銅鏡』 『西川省
出土銅鏡』
『吉林出土銅鏡』 『上海博物館蔵青銅鏡』など
がある。 また和訳 『中国古代銅鏡史』の原本
『中国古代銅鏡』の他、中国の友人から頂いた日本ではなかなか手に入らないような鏡の本が多数あるから

本場の中国で出土した鏡だけを論ずる
ことができる。考古マニアでも自慢できる方かも知れない。

 他のHPでは、日本出土の鏡も中国製の鏡に含めて論じたものがほとんどなので、これら中国出土の鏡だけ
を見て気がついたことを書いてみよう。  その後『鄂州銅鏡『鄂城漢三国…』の新訂版)も入手した。
 

 
1.年号鏡は圧倒的に呉の神獣鏡に多く、魏の鏡は数が少ない。
ちなみに 『中国古代銅鏡史』によれば、
   洛陽晋墓でわずか一枚だけ神獣鏡が出たそうだ。年号鏡であるかは不明である。

 2.
青龍、景初、正始の年号鏡は魏からも中国大陸からも出土して(製造されて)いない。日本製の証拠だ。

 3.熹平七年(後漢)、永安七年(呉)といういずれも六年までしかないはずの架空の年号鏡が出土している。
   これこそ景初四年鏡と同じく一ヶ月あるかないかの年号を論じるよりも、前もって、あるいは後世に自由に
   入れられるという私の考えを証明するものだ。 「五月丙午」とか 「尚方」 とか、実際にはない年月、 干支、
   官製工房で作られなくても製作者は吉祥句として、また価値を高めるために自由に文字を入れたのだ。
   年号があっても
景初四年鏡が中国製という証明にはならない。どこでも自由に作れるという証明にはなる。
                                               
景初四年鏡への私見

 4.年号鏡ではないが、『鄂城漢三国六朝銅鏡』には 熊本市立博物館 で見た 「リュウ金画文帯神獣鏡」
   (金メッキされた鏡−
博物館の展示札には獣帯鏡とあったが間違い、 画文帯神獣鏡である) が三枚掲載
   されていた。
博物館には 「大和から贈られた鏡」とあったが、大和の古墳から出る鏡より優れた鏡を贈る
   訳がない。やはりクマソ(狗奴国?)の勢力が独自に呉の地域から手に入れたと考えた方が良いと思う。

 
5.実は呉鏡を集めたとされる『鄂城漢三国六朝銅鏡』の中には魏の「黄初」の年号鏡が数枚載っている
   中国の考古学者・王仲殊著『三角縁神獣鏡』で呉の孫権は、まだ皇帝を名乗らないうちに魏と友好関係を
   保った時期に魏の年号「黄初」を使っており、
魏の年号を使った呉の神獣鏡が存在すると説明されている。
   これを日本の大和論者は「これこそ中国で出土している魏の鏡」と曲解しているのだ。残念ながら今もって
   
魏の首都・洛陽では三角縁神獣鏡はおろか平縁神獣鏡さえ流布されていなかった、と言えるのだ。
   


 
ちなみに泉屋博古館や大阪市立博物館蔵の黄初の年号鏡を五島美術館の1992年発行図録 『前漢から
   元時代の紀年鏡』
では
「黄初は魏の年号ではあるが、製作地は呉」 とはっきり書かれている。
しかし、
   泉屋博古館は大和説の樋口隆康氏監修なので
図録には全く書かれていない。そういう訳があるのだ。
 
 ちょっと中国の本を見ただけでもこれらの発見があった。 本当に中国の鏡の動向を論じている日本の研究者
が果たして何人いるか、または無視している者がどれだけいるのか日本の考古学がいっそう不安になった。




『洛陽出土銅鏡』 (上の本 魏の鏡)        『鄂城漢三国六朝銅鏡』 (下の本 呉の鏡)
 神獣鏡は一枚も載っていない。その上       表紙が神獣鏡。神獣鏡は十数ページにわたって載っているが、
三角縁神獣鏡は一枚も載っていない。
三角縁神獣鏡は洛陽はおろか中国では
      全く出土しないのだから。左の写真、私が撮影。HP「邪馬台国・奇跡の解法」にのみ掲載を許可している
全く出土しないから全然載っていないのだ     
                                ★これが中国の出土鏡の真実だ!
 これでもあなたはTVや新聞の報道、
       大和説の連中を信用しますか?
                          
         
          
意外にもこんな小型(直径10数cmほど)の内行花文鏡が「卑弥呼の鏡」かも?(吉野ヶ里遺跡の展覧会にて撮影)



                                                           

  
  またTV放送番組を斬りまくる!

2010.4.17放送のテレビ東京「古代ミステリー」への感想 
 「
久しぶりに大笑いした。 最後の邪馬台国編は全くお粗末。 大和説の学者とはとても言えない連中の主張を
鵜呑みにし、呉系の鏡で古墳時代の日本製である鏡をそのまま「卑弥呼の鏡」と信じ、 何の証拠もない遺跡や
古墳を卑弥呼の墓と報道するのに基づいて番組を作るなんて驚いた。 石野博信氏も卑弥呼の証拠は無い
思わず番組中でポロッと言っていたし、メジロをウグイスと間違え(再放送では訂正)、百襲姫(モモソヒメ)をヒモ
・モソ姫
(ここは訂正せず)たあ大笑いだ。 彼女は既婚者で卑弥呼は独身者、全くの別人。 季刊『邪馬台国』を
読んで、 九州説をやった方がきちんと『倭人伝』 や記紀の記載に合っていることがわかるだろう。 この番組が
キワモノであることを後悔するよ。 久しぶりに笑わせてくれてありがとさーん。」 と送信した。 受信された証拠に
メジロの場面だけはカットされていた。恥だと反省したのだ。


2010.9.21放送のNHK BS-hi「世界遺産一万年の叙事詩」では 俳優・刈谷俊介氏が「纏向遺跡が邪馬台国
であることが確定した」と
『倭人伝』の記事に合わないことを全く無視して、一方的に宣言をしていた。 彼の一見
詳しそうに見える考古学の実力のモロさが露呈した瞬間であった。彼の考古学って一体何だろう?理解できん。



2011.1.23放送のNHK"邪馬台国"を掘る」 タイトルに"をつけて曖昧にしたところに 少しはNHKの良心が
あるのかな?とも思ったが、やはり纏向遺跡が邪馬台国かどうかよりも、そこだと思うが、決定的な証拠がまだ
発見されていないのだ、という前に民放でやった
「徳川埋蔵金伝説」のような番組であった。


 大和説に不利な絹の出土状況(初めて纏向で見つかった)、鏡の形式の違う決定的な大問題、埋葬施設に「槨
(部屋)なし」なのに槨がある問題について一切触れず、鉄器の出土量だけが九州説に負けているような印象を
視聴者に与えるトンデモ番組だった。さて今後は大量の桃の種が出ないと卑弥呼サンは鬼道につかえたことには
ならないのであろうか。仮面や紅花に桃の種… 『倭人伝』に書かれていない物がドンドン出土する纏向遺跡に
情熱を傾ける人の吐息と焦りだけが伝わった番組だった。「王宮」とはNHKの"応急"的な呼び方であろう。

 CG では大集落が描かれていたけれど、
集落は発見されていないはず。ここにも詐欺行為が働いているのだ。
「掘ったけれどやっぱりダメでした」は、もうやめてほしいなあ。でも 発掘者は邪馬台国が埋まっていると本当に
思っている
のかねえ?好きな言葉ではないが、マジ?吉野ヶ里の高島さんの出番がいつもよりはあったかなあ
という番組であった。

 集落のない都など、後の時代にはありゃしない。大型建物を王宮と呼ぶなら、 縄文時代から各地に存在する。
「鬼道」ならぬ「奇道」を用いて「よく衆を惑わす」のは卑弥呼ではなく、NHKを始めとする放送局、新聞社、そして
一部国立大学や博物館の常套手段、いや上等ではなく、
まだまだ下等な手段といえるだろう。


2011.10.26放送のNHK歴史秘話ヒストリア」(女王さま、振り向いて!)纏向遺跡にあまりに多くの桃の種が
出たので、理由付けに汗だくの大和論者が鬼道に結び付けようと必死の姿が良く見えた。
何しろ『魏書 東夷伝
倭人条』(『倭人伝』)には桃はただ一ヶ所「桃支(とうし)」という竹の種類で「かづらだけ」とか「皮の薄い赤い竹」
という解釈で出てくるが、
桃という今の果物の意味では出てこない。
あんな大量に出たのに実に不思議だなあ!
桃は書かれなくて橘(ミカンの一種)は出てくるのに大和説の人たち、ざんねーん!
ここでも『倭人伝』の記事と
合わないねえ。
女王さまは振り向くどころか、いなかったことになる。NHKさま、しっかり振り向いて!

 かつて
『倭人伝』の記事の「南」を「東」に勝手に変えた昔のように今度は4人もの「専門家」が集まって、大量
にも関わらず全く書かれなかった桃の種を主に、以前に出た紅花、木製の仮面のことなど見事に忘れ、今度は
桃を鬼道の中心にしちゃおうとする
密談が良く撮影されていて、久々のNHKのスクープ、快挙 と言って良いかも
知れへん。ヤッ「タネ」ー!NHKも大したもんだ。彼らの片棒をまたかついだことになるのだから。もう桃を用いて
鬼道を行なっていたことを民放に先駆けて断定してしまうとは! ピューリッツア賞ではなくピーチナッツ賞でも贈るか?
卑弥呼の死因って桃の食べ過ぎが大和説では根本原因じゃないの
大量の柿の種にピーナツ付けてポリポリ
かじりながら笑って差し上げよう!

 新潟県が邪馬台国の候補に挙がっていたが、弥生時代に『倭人伝』に記載のある
卑弥呼が中国からもらった
という絹や鏡がどれほど出土しているのか
調べてから候補になってほしいなあ。そのことを無視するなら地名の
ダジャレだけで、どこでも候補にできる。東京だって弥生時代の名付け親、絹や鏡は他の国に与えたので東京
からは出土しない、とかなんとかどこかの人たちのように理由を付けて候補にしてみるのもご一興かいな?アッホ。

 土器の分布が流通の深さを表すのではなく、勢力、王国を表すのなら、 縄文時代は亀ヶ岡王国や加曾利王国、
勝坂王国などが覇を競った戦国時代なの?そうか
大和の天皇家って九州から来たのではなく、関東・中部王国
に征服されたのか、
『古事記』『日本書紀』にはなぜそう書かれていないのだろう?3世紀の纏向遺跡には紀元
前に橿原宮で即位したあとの
天皇家の子孫がいたんじゃないの?(冗談) 何だかわからなくなってきたぞ。

 もともと
『倭人伝』の「南」を「東」に改ざんし、鏡の種類、墓の内部構造には目を向けず『倭人伝』の記事も無視、
推論に推論を重ねてやっと到達した
何の証拠もない「奈良の邪馬台国」というほとんどでっち上げの結論
承認、番組を作りあげたNHKの罪は重い。本の文字より映像になると一般の人は信用してしまう。まるで
満州国
建国に暴走した軍人に加担した報道陣
のように思えてきた。まさに「奇道」によって衆を惑わす連中で恐ろしい!

 番組の後半は宮崎康平ご夫妻の話にして前の印象を薄くし、誤魔化した印象がある。九州側のことも取り入れ
以前よりは柔軟になった感があるが、視聴者はいかがお思いであろう?まだまだ油断はできないなあ。


2011年11月、初めて埼玉の高坂古墳群から三角縁神獣鏡が出たと報道。古墳は4世紀から7世紀のもので
同時に出土した鏡は4世紀の捩文鏡
(ねじもんきょう)だとか。さて、問題の三角縁神獣鏡を鑑定してもらったら、
それは大和説の者(学者とはあえて言いたくない)であり、やっぱり (書きたくないが) 3世紀のもので、大陸から
渡った「舶載鏡」なんだってさー。
中国では一枚も出ていないのによく言ってくれる。鑑定士としては失格だ!
 
 古墳や同時に出た鏡は注目を浴びることなく時代背景も考えられることなく、
どうやって鑑定したんだかなぜか、
いつも卑弥呼の時代の鏡になってしまう三角縁神獣鏡。そんな
科学的鑑定ならぬ心情的判定疑うことなく純朴
に信じて、報道してしまう新聞社と放送局
。まあ日本は平和なことか。あんな非科学的な発表をそのまま信用して
良いのだろうか?全く同じワンパターン報道を続けるメディア。何度も繰り返される大本営発表を受け入れてあの
戦争に入ってしまったあの時代になんとよく似ていることだろう? よくまあ何度もだまされるマスコミ連中だ。



2012.6.7放送のNHKプレニアムBS歴史館 邪馬台国の魔力に迫る」 いつもNHKのパターンは、大和説の論者
ばかりが登場し、九州説の方は討論には加われないという番組の姿勢方針があるが、 今回もフタを開けてみたら
視聴料をムダに使い片手落ちの偏向番組をまた放送していた。

 中国史研究家で『三国志』研究第一人者(へーえ?)などと字幕に書かれた論者が、日本の位置が南にあるような
印象は、
編纂当時はもう存在しない(中国の史書は次の王朝が前の王朝のことを書き、自分たちが正当な後継者
であることを高らかに宣言するのを第一目的とする)
魏と呉の戦略が原因だなどと、もう何ら役に立たない理由付け
をしたり、
『倭人伝』 全てがいい加減というわけではない と、貴重な文献を馬鹿にしたような態度をとっていた。 

 まるで『倭人伝』の一部だけが大和説に都合の良い真実が書かれているような(私にはどこだかわからないが)
印象を視聴者に与え、
『倭人伝』の史料価値を低めようと努力 しているように思えて仕方がなかった。 

 驚いたのは岡山大で考古学を教えているという松木某氏の「(弥生時代)
北部九州は鏡に興味がなかった?」と
字幕付きの意見が出たことである。
冗談じゃない!卑弥呼の時代、大和(のちの区分の言葉であるが畿内は関西
に関係なく都を意味する言葉なので私は仕方なく大和説と呼んでいる)では、鏡の出土数はいまだ10枚に満たず、
(破片を含む朝鮮系の多鈕細紋鏡が主、
橿原考古学研究所付属博物館の弥生時代のコーナーへ行けば一目瞭然)
興味がないのは大和の方、次の古墳時代のコーナーへ行けば急激に出土数が増加するのを実感するはずだ。

 もちろん卑弥呼死後のことで大和ファンのお好きな大量生産型の
全て日本製の三角縁神獣鏡(理由は上の方に
書かれてある)が並んでいる。きちんと
卑弥呼のいた弥生時代とは別の部屋に区別されて展示されているのだ。

 ちょっと九州へ行けば平原遺跡、須玖岡本遺跡、立岩遺跡、三雲南小路遺跡、桜馬場遺跡など鏡を大量に出土
した弥生時代の遺跡は枚挙に暇がないほど多くあり、 弥生時代を通じると 200枚から300枚も出ている事実を目の
当たりにするであろう。
北部九州は鏡がだーい好きだったのだ!彼は本当に考古学者なのだろうか?疑う!

 さてもう一人、NHKを踏み台にして教授になってやろうとしている(?)准教授は、九州と大和はゆるやかな連合体
だったのでは?と解く。では
なぜ、北九州に入った鏡が弥生時代当時、大和に流れなかったのだろう?大和が鉄を
買いに来た(?)のなら、
なぜもっと鉄器が大和から出ないのか、という問題が残るし彼らには答えられないであろう。
「よくわからないけれど纏向遺跡が邪馬台国」(磯田准教授の言)なんて答えるな! 
きちんと勉強して出席せよ。


 中国古代史研究家なら三角縁神獣鏡の銘文を音韻批判された森博達氏、岡山ならおしどり考古学者夫妻で有名
な間壁忠彦氏、九州考古学者なら高島忠平氏と豪華メンバーでよりハイレベルな討論を期待できたのに、視聴料を
ムダ使いした
出席者・内容共超三流番組をまた作ってしまったものだ。NHKの偏向報道は戦前から変わっていない。
 
 大和説を裏付ける唯一の出土品が三角縁神獣鏡なら、すでに1981年、出場者4人がお子サマの頃、中国の王仲殊

氏が同鏡は呉の工人が日本で作った鏡で「卑弥呼の鏡ではない」
と発表し、 私はそれで納得した。ついでに書けば
「今、中国人がディズニーランドのキャラクターのにせブランド商品を作っているようなもの」と解釈する。呉の工人に頼んだから
魏にはない神獣鏡になり、 魏の(卑弥呼が遣使した付近の)年号を入れてしまった 「中国にはありえへんヘンな鏡
なってしまった?」訳だ。これからも卑弥呼や邪馬台国と何ら関係なくこの鏡は出土し続けるであろう。大和説の連中を
もてあそびダマシ続けながら・・・。だから大和説を裏付ける唯一の出土品は残念ながら消え、全滅したのである。



2012.7.8放送のNHKプレニアム 知られざる大英博物館 3.巨大古墳の謎」では年表が登場し、古墳時代を卑弥呼
の死んだ時期に合わせよう
とした国立歴史民俗博物館の陰謀(他の博物館は認めていない)に加担、3世紀半ばから
古墳時代が始まったように改ざん
をしていた。 大著『纏向』 で土器を担当された橿原考古学研究所の関川尚功(ひさ
よし)氏は卑弥呼の墓説のある
箸墓古墳は4世紀だと書かれ、纏向遺跡が盛んなのも4世紀だと断定されている。

 また番組では「ゆるやかな連合体」という上の番組の言葉を流用していた。では、弥生時代の鏡、絹、鉄の出土量が
大和に対して、北部九州の方がはるかに多い
のはなぜだろう?対立状態にあったからではないか?そうでないと武器
になる鉄を北部九州が大和に売ったり(大和が買ったり)できるものか!
 

 驚いた(というか笑ってしまった)のは巨大古墳を造らず墳丘を盛るのをやめた例として石舞台古墳が登場したことだ。
石舞台古墳がまるで初めから盛土をしないで造営されたような誤解を生む映像だったからである。『日本書紀』に盛土
がなくなったことが書かれてあるので探してみよう。「ここにはもはや巨大な墳丘はありません」蘇我馬子が泣いてるぜ。
太平洋戦争中、大本営発表をそのまま報道し続けたNHKの伝統は、今なお変わらず生き続けている。



2012.9.3放送のTBSドラマ「箸墓幻想」は、2007フジテレビ(上記)の別放送で集大成(TBSの売込み文句)だそうだが、
画文帯神獣鏡をこっそり箸墓古墳から掘り出しちゃったという設定だった。 画文帯神獣鏡は中国からも多く出土しては
いるが
画面のような大型の画文帯神獣鏡は中国からは1枚も出土せず、日本からは数枚、古墳時代の遺物として出土
している。すなわち日本製の鏡で、
箸墓古墳は4世紀の古墳であることがこの番組でも主張されたのは明白だ。

 原作の内田氏は、箸墓古墳の語源の結婚譚をわざわざ出していたので生涯独身であった卑弥呼とは別人の宮内庁
説を採り、
邪馬台国大和説を採っているようで実は違う、と言いたかったのであろう。ちなみに「持っていれば出世する」
という
「位至三公鏡」は魏の洛陽を中心に出土、日本では北九州周辺で出土、奈良からは1枚も出ないという「卑弥呼の
鏡」の候補の一種であることを付け加えておこう。 『倭人伝』に書かれている
「絹・鏡・鉄」の3点セットが卑弥呼の時代
に数多く出土しているのは
北九州以外にはない
。 邪馬台国はここでキマリ(大和説者風に書くと)だ!




 
さてあなたはどう思いますか?

    充分な考証もせず、安易な番組作りに奔走するマスコミにはもううんざりである。 あーあ、また今年もか…
    今度こそ、きちんと考証した番組を作ってほしい、と奈良40余年マニアは切に思うのだ。

    わが
愛する奈良の歴史を勝手に変えないでほしい!
奈良に邪馬台国は無かったのだ!


  以上のように最近のテレビや新聞は『倭人伝』の記述と合わない内容を持った報道がほとんどなのである。

 『倭人伝』の記事「棺有れど槨(部屋)無し」に反して石室が二つも出土した大和のホケノ山古墳発掘現場。

 
 
               
きわめて論理的なサイトを紹介しよう。下の写真にあるホケノ山
                  古墳の年代について書かれた記事から発見、邪馬台国の記事も
                  豊富。読んで頂ければ幸い、絹や鏡の出土量も出ているが最新の
                  データとは限らない場合もある


           
                          ホケノ山古墳の年代について(邪馬台国の会)












目次ヘもどる
         「卑弥呼の墓は二つあった?」へ     「邪馬台国・奇跡の解法」 (リンク)
椿井大塚山古墳より一枚多い三十三枚の
三角縁神獣鏡を出土した
黒塚古墳
柳本古墳群の入口にあるので発掘前から
気になる古墳だった。発掘後「卑弥呼の鏡」
は 『倭人伝』の記す百枚を遥かに越えて、
三角縁神獣鏡は「卑弥呼の鏡」と全く関係
のない
古墳時代の大量生産品と化していく
三角縁神獣鏡は「卑弥呼の鏡」ではない

 TV・新聞は大うそつき!
 堂々たる大ねつ造は今なお続いているのだ

★男は銅鏡−女は愛鏡  本当に卑弥呼の鏡なら弥生の遺跡から出なきゃおかしい
 魏鏡論者は、三角縁神獣鏡は古墳時代の遺跡から何百枚
出ていても
全て弥生時代からの伝世鏡というが、 そんな冗談
が正々堂々まかり通るのだから考古学界の程度の低さには
恐れ入る。 ハイテクの機器を使っている一方で、こんな状態
なのだから、旧石器のねつ造があっても全くフシギではない。

 古墳時代の鏡
(しかも三角縁神獣鏡だけだとさ)が弥生時代
の伝世鏡なら
弥生時代の銅鐸は縄文の伝世銅鐸といえるの
か?
BSデジタル・ハイビジョンTVは昭和のオヤジの伝世TV
だといえるのか??
 それと同じ理屈ではないか。
どうだ?どうだ?大和論者よ答えてみよー!
            
           
@画文帯神獣鏡(呉鏡)  直径12.8cm 昇龍蔵

         
この記事の一部が『季刊 邪馬台国』2010年2月(104)号に紹介されました!
まだ長いけど
私も住んでいる
日本のことです。
がんばって読みましょう
あなたが住んでいる日本の歴史と報道のあり方を問うものです。ぜひお読みください
テレビも新聞も
みんなおかしいわ
『倭人伝』の記事と
合わないなんて

纏向遺跡が邪馬台国
だって言えないね
あんな思わせぶりな放送して
いたら視聴者が背を向けるわ。
さあみんなで背を向けましょう。
ブーッ!
おのれ、まだ三角縁
神獣鏡を卑弥呼の鏡と
抜かすかあ、許せぬ!
 
「日本武尊」昇龍・画
なあんだ纏向遺跡が
邪馬台国だなんて
何の証拠もないんだ
ちょっと長いけど
あなたが住んでいる
日本のことです。
読んでくださいね
大和にいない女王さま
よりも私を振り向いて!
この記事の一部が掲載
された古代史専門誌

『季刊 邪馬台国』
2010年2月号
(梓書院)
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